第2回目は僕が札幌にいた頃のバンド関係のお話でもしましょう。
僕が最初にバンドを始めたのが、17歳(高校2年生)の頃でした。当時、僕は「Punk」が好きで、スターリンのコピーバンドをやっていました。
VO.増子直純、G.僕と内田さとし。他にベース&ドラム。スターリンのコピーバンドでツインギター、、、、今思えば強引なメンバー構成・・・(笑)VOの「増子氏」はピロファンの方は知っている人も多いかと思います。
SAPPORO NIGHT等に出演していた今や「怒髪天」のVOです。Gの内田さとしは、札幌時代、山中君と親しかった人物。
次に結成したバンドが「つっつどろどろどん」っていうポップコミックバンド。
前述したバンドが自然消滅した後、どうしてもバンドを再開したく、色々なライブに顔を出してその存在感に一目惚れし、声をかけ、そして結成したのです。だから最初はVOの「BON」とGの僕2人だけ。(^^;
同時期、北海道は帯広から札幌に出てきたバンドマンがいました。その名を「吉野 寿」。坊主頭に黒縁眼鏡。
そして、ある日、札幌のライブハウス「BESSIE HALL」でジョイント。「かっこいい〜!!!!」。OIOIパンク〜!
体全体から滲み出る躍動感!スピード感溢れる曲。吉野のパワーボイス&ギター。最高に格好いいバンド。
バンド名は「スキャナーズ」。えっ?誰も知らない?後の「イースタン・ユース」。ならわかる?
当時はニューウェーブ、そしてパンクブームだったなぁ〜・・・
世間ではラフィン・ノーズ、ウィラード、有頂天、オート・モッド、ガスタンク等々・・・
札幌においてもその傾向はあり、ロック系バンドとして、スキャナーズ、ブッチャーズ、そして怒髪天。
ヘヴィメタル系では「フラット・バッカー」、「スクリュードライバー」、「サーベルタイガー」。
フラット・バッカーのVO山田雅樹、Dr本間ひろつぐは、日本を代表するヘヴィメタルバンドの最高峰「ラウドネス」のメンバーとして活躍。
スクリュードライバーは、余り知られていないと思うが、ザ・ミンクスのG松橋氏、そして〜!!
あの上田ケンジも一時期(本当ちょっとだけだったと思うなぁ・・・)参加していたハードロックバンド。
ニューウェーブ&ポップ系といえば、ピロファンなら知っている人も多いでしょうが「ペルシャ」、
シェッタ・ガーリア、みぞるゲ・・・その中でも「ペルシャ」は人気あったなぁ〜・・・若い女の子がたくさんライブにきてさぁ、
「ピーちゃん、ピーちゃん」だもんなぁ・・・羨ましかった(^^; その後、続々といくつものバンドが東京進出。フラットバッカー、ザ・ミンクス、怒髪天。
それを背負ってうけたのが、GO−GO−TIMES、コインロッカーベイビーズ等のバンドマン達でした。
今までにない、また新しい時代に入っていった時期だったのではないかなぁ。
僕はその頃には既にバンドから足を洗っていたので、余り詳しい事は知らないんだけどね〜。
「GO−GO〜」は今の、「チューインガム・ウィークエンド」。
「コインロッカー〜」は、言わずと知れた「ピロの山中君」のバンドでしたよー。
本当札幌の音楽シーンは高いレベルを持ったバンドがたくさんあったと自慢できるなぁ〜。
あっ!そうだ!うちのバンドのVOの宣伝をこの場でやろうっと!
僕は夢半ばであきらめた中途半端な奴だけど、彼は今夢を追いかけてがんばっているから
みなさんにご紹介しちゃいます。興味ないなぁ〜って思ったら読み飛ばしていいからね〜!
本名:高木秀彰。現在30歳。当時のステージネームが「BON」。
当時ラフィン・ノーズのベースが「PON」。それに対抗して「BON」。何て単純〜!
「つっつどろどろどん」解散後、彼は札幌のクラブにおいて、レゲエDJとして活躍。
その頃からステージネームを「PAPA BON」と改名。レゲエアーティストの「PAPA SAN」と「BON」をかけたのであろう。
レゲエの大イベントである、「ジャパン・スプラッシュ」にゲスト出演。
全国のDJが集まり収録した(チエコ・ビューティーがゲスト)コンピレーションCD「ハードマン・フィ・デッド」に参加。
東京でのDJコンテスト優勝等、数々の功績を残し、1994年から活動の場をNYに移す。
そして今、PAPA BONが動き出した!
6/21、レコード会社「バンダイ」より、1stアルバム「SWORD MAN」をリリース〜!
6/21。それは札幌で同時期に活躍していた「イースタン・ユース」のニューアルバム、
「旅路ニ季節ガ燃エ落チル」がリリースされた日。
札幌の頃から10年の月日がたった今、何かとても嬉しく、そしてちょっぴり寂しかったような1日だったなぁ・・ |